この天叢雲剣(草薙剣)は、他の神器と異なり、水没、盗難、偽造、火災、喪失等々数奇な運命にみまわれます。
三種の神器については天孫降臨以後、第十代崇神天皇の御代まで記紀に特筆されていません。書紀によれば、崇神天皇の時に、神威を恐れて宮中に祀っていた天照大御神を、豊鍬入姫命に命じて倭の笠縫邑に祀ることにしました。その後、垂仁天皇の時に、八咫鏡は皇女・倭姫命に託され、ついに伊勢に祀られることになります。
この宮外奉斎は、天照大御神の宝鏡奉斎の神勅による同床共殿(常に身近に置くこと)に反することになりますが、「古語拾遺」(斎部広成編纂807年)によれば、崇神天皇の時に新たに神鏡と神剣を造り天皇の「護の御璽(まもりのみしるし)」とし、「天照大神(注・八咫鏡のことと思われる)及草薙剣」を倭の笠縫邑に遷したとの記述があります。つまり宮中の形代は、この時から祀られるようになったのです。
さて、倭姫命により伊勢神宮に祀られていた天叢雲剣(草薙剣)は、景行天皇の時、その皇子ヤマトタケルノミコトが東征を命じられた折に、ヤマトヒメによって授けられ、伊勢から持ち出されることになります。そしてヤマトタケルノミコトの亡き後、尾張で祀られるようになり、熱田神宮のご神体となったわけです。
その後、天智天皇の時(668年)に僧により2度も盗難にあいますが、その都度運よく回収されて、その後18年間にわたり宮中にて祀られます。そして天武天皇の時(686年)に、天皇が重病になり、それが草薙剣の祟りだと解釈されて、再び熱田神宮に送られました。(天武天皇はその直後崩御されています)