
『「軍の大元帥であれば、連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を撃破したとか、二百三高地を落としたなどの勝利報告を聞いて「よくやった。万歳!」となるのが当然の反応だと思います。ところが、明治天皇はどんなに華々しい戦果が伝えられても、表情―つ変えなかったといいます。
華々しい戦果の裏には、おびただしい数の死傷者が出ていることをご存じだからです。わがほうの兵隊も死んでいるだろうし、敵のロシアや清の軍人も大勢亡くなっている。戦場の悲惨な現実を知っているので、とても喜ぶ気にはなれなかったのでしょう。天皇にとっては、勝敗の結果よりも、戦争状態にあること自体が、すでに好ましからざる事態なのです。』
(「日本人の原点がわかる国体の授業」竹田恒泰著)
竹田氏が書かれているように、明治天皇は当初から平和を望まれていました。
明治22年に制定された大日本帝国憲法では、実態として行政権は内閣、立法権は議会、軍事は陸海軍が持っており、戦後の象徴天皇制に近いものだったといえます。結局、残念なことに、天皇は開戦を止めることができませんでした。そして天皇は平和への願いを込めて和歌を詠まれました。
「よもの海 みなはらからと思ふ世に など波風のたちさわぐらむ」
ルーズベルト大統領(当時)はこの和歌に感激してポーツマス会議の開催を勧誘した、という逸話もあります。