副島種臣 - Wikipedia

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『清国行を前にして、副島は鹿児島の西郷隆盛に書簡を送っているが、現在それは失われ、西郷の九月二十八日付の返信が伝えられ、「蒼海遺稿」、「大西郷全集」に載せられている。書中に西郷は「支那行御催しの趣、新聞に一見いたし意外千万の事に御座候」と言う。
「経歴偶談」によれば、副島は出発以前に予め手紙を西郷に贈り、かつ出発の節に書生の一人鈴木恭信(鹿児島人)を特別飛船に乗せて鹿児島に遣わして、欝々として楽まぬ故に、当分清国に漫遊するということを西郷に伝語させた。数月前、副島が東京から送った信書について、書生が問うと、西郷は落手していないと答えている。
なお西郷は城山で死ぬ三日前、岩崎谷の洞中において岡部という男を呼んで永訣を告げ、汝はここを去り脱出せよ、そして他日副島が清国から無事帰国したら、予の遺言一語を伝えてほしいと言った。曰く、「慎しみて『勿死工夫(しなぬくふう)』をしろ」と。岡部は幸い城山を脱出し、翌年副島帰国後に上京し、鈴木恭信を伴い副島宅を訪問し、西郷の遺言を伝えたのである (「全集」) 』(「副島種臣」吉川弘文館)。
西郷隆盛翁が最後に遺言を残したのは明治の元勲副島種臣伯でした。
「勿死工夫」
西郷翁は心底、日本の将来を憂い、副島翁に後を託したのでしょう。
副島伯は後に「南州翁遺訓」に序文を寄せています。
『南洲翁遺訓一巻 区々たる小冊子と雖も 今の時に当り、故大将の威容の𠑊と 声音の洪とを 観るに足る有るもの 独り此篇の存するに頼る 西郷兄何を以て蚤く死せるか 茲書を著す者は誰ぞ 庄内賢士大夫某々 明治二十三年一月 副島種臣』
この副島伯は、明治天皇が最も信頼した側近の一人であり、又生涯の師として仰いでいた方でした。
つづく