また、副島翁が病と称して進講を一時中断した折、明治天皇が「宸翰(しんかん/天皇直筆の文書)」を翁に送りました。
「卿ハ復古ノ功臣ナルヲ以テ朕今ニ至テ猶其功ヲ忘レス 故ニ卿ヲ侍講職ニ登庸シ以テ朕ノ徳義ヲ磨クコトアラントス 然ルニ卿カ道ヲ講スル日猶浅クシテ朕未ダ其教ヲ学フコト能ハス比日来卿病褥二在テ久ク進講ヲ欠ク 仄二聞ク卿侍講ノ職ヲ辞シ去テ山林二入ントス 朕之ヲ聞テ愕然ニ堪ヘス 卿何ヲ以テ此二至ルヤ 朕道ヲ聞キ学ヲ勉ム 豈一二年ニ止マランヤ 将ニ畢生ノ力ヲ竭サントス 卿亦宜ク朕ヲ 誨ヘテ倦ムコト勿ルヘシ 職ヲ辞シ山ニ入ルカ如キハ朕肯テ許ササル所ナリ 更ニ望ム時々講説朕ヲ賛ケテ晩成ヲ遂ケシメヨ(佐賀県立佐賀城本丸歴史館蔵)」
『卿は復古の功臣なるを以て朕今に至て猶其功を忘れず、故に卿を侍講の職に登庸し、以て朕の徳義を磨くことあらんとす。然るに卿が道を講ずる日猶浅くして、朕未だ其教を学ぶこと能はず。比日来、卿病蓐に在て久く進講を欠く。仄に聞く、卿侍講の職を辞し去て山林に入んとす。朕之を聞て愕然に堪へず。卿何を以て此に至るや。朕道を聞き学を勉む、豈一二年に止まらんや。将に畢生の力を場さんとす。卿亦宜く朕を誨へて倦むこと勿るべし。職を辞し山に入るが如きは朕肯て許さゞる所なり。更に望む、時々講説、朕を賛けて晩成を遂げしめよ。