明治24年御製
とこしへに 民やすかれと いのるなる
わがよをまもれ 伊勢のおほかみ
伊勢神宮に親拝された天皇は明治天皇が最初だと言われています。
伊勢に行幸された天皇はお二人居られますが、親拝の記録は確認できません。
その理由は明らかにされていませんが、伊勢神宮が他の神社と異なる点として、神仏習合の有無があります。勿論伊勢神宮にも大神宮寺が作られましたが、わずか数年にして神郡外へと擯出されました。804年には神宮から神祇官へ提出された「皇太神宮儀式帳」の中に倭姫命が定めたとされる「忌語」等が挙げられています。これは伊勢神宮から仏教色を排除するという強い意志によるものですが、それは現代に至っても、継続されています。
「倭姫命世記」によれば、伊勢神宮を創建した皇女倭姫命は、忌詞として「内の七言」と「外の七言」を定めたとされています。「倭姫命世記」についての時代考証等は別にしても、平安時代初期からは伊勢神宮から仏教色が排除されたのはほぼ間違いない事実です。
【忌詞、祓法】
また、種々の事を定め給ふ。
「内の七言」とは、仏を中子といひ、経を染紙といひ、塔を阿良々伎といひ、寺を瓦茸といひ、僧を髪長といひ、尼を女髪長といひ、長斎を片膳といふ。
「外の七言」とは、死を奈保留といひ、病を夜須美といひ、哭を塩垂といひ、血を阿世といひ、打を撫といひ、完を菌といひ、墓を壌といひ、また優婆塞を角波須といふ。
これは仏教用語を禁止する定めですが、用語だけでなく、仏教それ自体が禁忌であったと考えていいでしょう。内宮と外宮の正殿では、江戸末期に至るまで僧尼の参拝が厳しく制限されていました。勿論、建前と本音ということはあったと思いますが、天皇が仏教を信仰していた為に、御自らの意思で神宮参拝を遠慮されていたのではないでしょうか。
伊勢神宮「お伊勢さん」と親しく呼ばれる、伊勢神宮の公式サイト。正式には「神宮」といい、2000年の歴史を有する日本人の「心のふるさと」です。

www.isejingu.or.jp
