
王政復古の大号令で「諸事 神武創業之始ニ原キ」との勅令を得た国学者達は、新しい世の天皇親政を図りましたが、それには神祇官の再興が必須でした。
そもそも神祇官とは律令制で設けられた朝廷の祭祀を司る官であり、また全国の官社を総括するものでした。彼らは、太政官よりも上位に位置するこの神祇官を、祭政一致の大前提だと考えていたのでしょう。
念願かなって明治元年に神祇官が太政官下に設けられると、平田延胤らが任命されました。しかし喜んだのもつかの間、明治四年に太政官下の省に降格となりました。そして翌五年に神祇省は大蔵省の社寺課と合併して教部省となり、神社と寺院の双方を管轄するようになりました。
自分達の行政能力が至らなかったことが原因とはいえ、この連続した降格は、まさしく国学者達にとって、長年の夢が破れた悪夢だったこと事でしょう。
ところが悪夢はそれで終わりませんでした。
次は神道の国教化が挫折することになったのです。