
西南戦争を経て国内は徐々に落ち着いてゆきますが、国家体制をどのように設計してゆくか、それが新政府の課題でした。それは憲法制定にも関係するものであり、富国強兵政策にも必要な要素でした。
明治初頭の急激な欧化政策は、明治4年の岩倉使節団の派遣により加速してゆきます。
日本語を廃止して英語を国語にしろ(森有礼初代文部大臣)とか、キリスト教を国教にしろ(福沢諭吉)とか、維新の元勲達も想定外のことで驚いたことでしょう。天皇自らが率先して洗礼を受けよ(中村正直)などという主張がマスコミに現れ、直ぐに英字紙に訳載されるなど、無視できない反響もありました。
急激な欧米化へは、王政復古の大号令で勅令された「諸事 神武創業之始ニ原キ」とは相いれないものです。もちろん五箇条の御誓文の「智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スべシ」の主旨には沿うものでしたが、あまりに性急すぎると思われました。