
『また明治四十五年、つまり崩御することになる年の秋の演習統監が計画されたとき、明治天皇はすでに病気でした。最近の健康の衰えに配慮して、一日だけ川越大本営に泊まり、残りの二晩は皇居で過ごす計画がたてられた。ところが、その計画を見た天皇はなかなか承知しません。軍人たちが早く裁可なさってくださいと頼むと、「どうして私だけが宮城内に帰れるか、兵たちは帰れないでしょう、私だけが帰るのはよくない」。結果的に、三晩ともテントの中で過ごすよう改められました。それも自分の義務感からです。
茨城に演習視察に出かけた際は、馬車を降り高地にのぼり、荒れ狂う風雨、時に雪が舞うような寒さの中、演習が終わるまで一時間以上身をさらしたままでした。最高司令官として、不屈の精神の手本を示したかったのでしょう。』(「明治天皇を語る(新潮新書)」)
義務感、精神の手本、そうかもしれません。
でも私は、少し違うような気がします。明治時代、国軍は国体を守ることを第一としていました。その国体とは、神武創業(建国)の大御心に沿う国家の在り方にほかなりません。言い換えれば、天壌無窮の神勅そのものです。明治天皇は、義務とか手本ではなく、国民への感謝と親愛の思いから、兵士たちに寄り添おうとされていたのではないでしょうか。
教育勅語の最後で明治天皇は次のように述べられています。
「朕󠄁爾臣民ト俱ニ拳󠄁拳󠄁服󠄁膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁フ」と。
(朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む)
「聖訓ノ述義ニ関スル協議会」
俱ニ(共に)拳󠄁拳󠄁服󠄁膺シテ、とあるのを御自ら実践されていたのでしょう。
ドナルド・キーン - Wikipedia

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