
日本は神国という思想があるのにかかわらず、宮中祭祀はあまり熱心に行われていませんでした。古くから行われている祭祀はいくつもなく、殆どが明治に入ってから新たに開始されています。(新嘗祭や大祓などは再開されたものです)
以下にその一部をご紹介します。
1475年 四方拝
1647年 神嘗祭
1688・1740年 新嘗祭
1869年(明治2年)奏事始、先帝祭、祈年祭
1869年(明治2年)神武天皇祭
1870年(明治3年)天長祭
1871年(明治4年)節折、大祓
1872年(明治5年)歳旦祭、元始祭
1873年(明治6年)紀元節祭
1878年(明治11年)春季皇霊祭・神殿祭、秋季皇霊祭・神殿祭
歴代の天皇の多くが仏教を信仰していたのが主たる原因ですが、それは即位に際しても同様で、皇位継承対象者に対して「即位灌頂」が行われていました。ところが明治天皇の即位では、全てを神式で行い、即位灌頂は廃止となりました。
これは凡そ500年ぶりのことです。この流れは王政復古の大号令(慶応3年)、五箇条の御誓文、神仏判然令(元年)、大教宣布の詔&鎮祭の詔(明治3年)を経て、明治4年の大嘗祭へと繋がってゆきます。
「神霊ヲ鎮祭スルノ詔」(鎮祭の詔) 1870年(明治3年1月3日)
朕、恭しく惟るに、太祖創業、神明を崇敬し、蒼生を愛撫し、祭政一致、由て来る所遠し。
朕、寡弱を以て、夙く聖緒を承け、日夜怵愓、天職の或は欠けんことを懼る。
乃ち祇んで天神地祇八神曁び列皇の神霊を、神祇官に鎮祭し、以て孝敬を申ふ。
庶幾くは、億兆をして矜式する所あらしめ
「宣教使ヲ置クノ詔」(大教宣布の詔) 1870年(明治3年1月3日)
朕、恭しく惟るに、天神天祖極を立て統を垂れ、列皇相承け、之れを継き之れを述へ、
祭政一致億兆同心、治教上に明かに、風俗下に美なりし。
而して、中世以降、時汚隆あり、道顕晦あり。
治教の洽からざるや久し。今や天運循環、百度維れ新なり。
宜しく治教を明らかにし、以て惟神の大道を宣揚すへきなり。
因て宣教使に命し、天下に布教す。汝群臣衆庶、其れ斯旨を体せよ。