明治37年御製
橿原の 宮のおきてに もとづきて
わが日本の 國をたもたむ

明治神宮の「365日の大御心」では、次のような口語訳になります。
「橿原の宮で即位された神武天皇の建国の定めを拠り所として、わが日本の国柄を守っていきたいと願っている」
「上則答乾靈授國之德。下則弘皇孫養正之心。然後兼六合以開都。掩八紘而爲宇不亦可乎。」
日本書紀によればこのように述べられています。(建国の詔)
「上は乾霊の国を授けたまひし徳に答え、下は皇孫の正を養ひたまいひし心を弘めむ。
然して後に、六合を兼ねて都を開き、八紘を掩ひて宇と為さむこと、亦可からずや」
この「然して後に」というところを無視して次の文章に進むのは、神武天皇の詔に反するわけですが、皇孫つまり邇邇芸命の御神徳とその神意(趣旨)が全ての基本でなければならないと、天皇は詠まれているように思います。これは皇道と覇道の違いではないでしょうか。