明治37年御製
かぎりなき 世にのこさむと 國の爲
たふれし人の 名をぞとゞむる

明治神宮の「365日の大御心」では、次のような口語訳になります。
「この世のある限り後の世にまで伝え残そうとの思いで、国のために死んでいった人々の名前を、しっかりと留め残すのである」
日清戦争の兵士の犠牲は13,800人でしたが、日露戦争の戦没者は88,429人、負傷者も15万人を超えました。厳しい戦いが予想されていたとはいえ、あまりに大きな犠牲に明治天皇も大変驚かれ、哀しまれたことと思います。
天皇御自身が憲法上最高責任者であるにもかかわらず、なぜ望まれない戦争が起きてしまうのでしょうか。それは昭和天皇の時にも言えることですが、とても複雑な原因があったのだと思います。
日清戦争の宣戦詔勅を出された時、天皇は「今回の戦争は、朕、もとより不本意なり」、「これは朕の戦争にあらず」と仰られたとのことです。
天皇が宣戦布告を決する前に、すでに陸海で戦争が始まっていて、事後承認の様な状況だったからです。これは昭和の日中戦争にも言えることですが、天皇の大権を以てしても最早止めることができないところまで、一部の軍幹部が暴走していたからです。
国家の存亡にかかわる大事を「追認」せざるを得ない天皇の御心境は、さぞや苦悩に満ちたものであったことでしょう。