明治37年御製
國民は ひとつ心に 望まもりけり
遠つみおやの 神のをしへを

「神のをしえ」とは、惟神之道です。
元々神道(古神道)には、経典、教義、教祖、戒律などありません。
経典が揃い、また何かにつけ是は良い是は悪いと整理されていればわかり易いのですが、定まったルールや教義がないと、掴みどころがなく、頭で理解するのはとても困難です。
日本に仏教が伝来してから、古神道は官製の「神道」となり、今あるような形式の神社をつくり、そこに神職やその組織、祝詞集や様々な理論が整ってゆきました。つまり仏教への対抗上、古神道は変質していったのです。やがて神仏習合の流れに無理やり巻き込まれ、本来の輝きを急速に失ってゆきました。
そして明治の世となり、神仏判然令によって漸く神道は仏教の呪縛から離れることができましたが、今度は政治に翻弄されることになりました。
惟神之道は、本来信仰の必要とされない世界です。
古事記序文の言葉を借りれば、出入幽顯とでも言いましようか。顕から幽、幽から顕、このふたつのアプローチが必要なのです。単に生き方が云々という哲学的な話ではありません。
神人合一して初めて覚悟(気づきと理解)できる世界だと言っていいでしよう。