明治37年御製
榊葉に かけし鏡を かがみにて
人も心を 磨けとぞおもふ

明治神宮の「365日の大御心」では、次のような口語訳になります。
「神前の真榊の枝にかける鏡を心の鑑として、己が姿をうつし、人間も神にあやかって、各自の心をみがくがよい」
「上枝に八尺の勾璁の五百箇の御統の玉を取り著け、中枝に八尺鏡を取り繫け、下枝に白和幣、青和幣を取り垂でて、この種種の物は、布刀玉命、太御幣と取り持ちて、天兒屋命、太詔戸言禱き白して~」(「古事記」岩波文庫)
「榊葉に かくる鏡」とは、この「中枝に八尺鏡を取り繫け」に由来するものです。
「人もこゝろを みがけとぞ思ふ」とは、穢れを祓う直霊の働きです。
佐藤卿彦先生の御本に次のようにあります。
「問 身潔について水を被るなぞの行がありますが如何でしようか。
対 誠の身そぎは、体(ミ)と己の魂とを清むることなるも、誠の道を知らず、世に行なえる滝に打たれる、水を被る等、体を痛めるのみにして真の身そぎに非ず、『霊を以て霊に対する』真の身そぎは魂を磨く事にあるなり」
つまり幽の祓いによらなければ真の祓いは出来ない、という事です。
身体を浄めるなら風呂に入ればよいですが、心斎と共に、魂を浄めなければ祓いは完結しないのです。