ここに鈴木氏のものされた幽斎の真髄探求の筆記は、その意味からして洵に得難いものである。神に許された者のみが、鎮魂の極致に帰神することができる。帰神者(神籬たる神主)が審神者(さには)や特に召された者らの請白(ねぎまをし)に対して神訓を宣るときに、誓霊が達成される。かくて誓霊とは、神と人との交信を可能ならせしめるものであろうか。
誓霊は、人が神に生命の物実を捧げて祈請することであるといってよいかもしれない。鈴木氏が此の道に関心を懐いたのは、遥か五十年前の学生時代に遡る。本書「一本の道」は、同氏の心の遍歴を物語るばかりではなく、幽斎の何たるかを朧げに知らしめるものがある。同氏の真意は、正しい幽斎についての正しい方途を伝へたいとするにあると聞く。先頃昭和四十五年十一月二十五日に自決した三島由紀夫氏が、最後まで追求し続けたものがウケヒであったといはれる。三島氏を鈴木氏に合わせたかったと、今にして残念でならない。人生とは、人との出会ひであるが故に。
幽斎の道は、深遠にして難行であると仄聞する。鈴木氏のご自愛ご精進を祈り、いよいよ研鑽せられんことを切望してやまない。
此の種の刊行物は、古今稀有である。神に仕へる者としては、一度は関心を持って経眼することも、大きな意味があらう。
昭和四十六年三月 神社本庁事務総長 林 栄治』