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大和心

第401回 大祓祝詞を考える―8(2/2)

著者:小山一夫 / 公開日:2024-06-09

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

即ちアマは霊真の意であって、五十元が至大無涯の大虚空に充満して増減のない状態を云って居るのである。

又アマは、霊円(アマ)。円体であって大虚空に充実して居るものであるが、其の虚空が至大で在って際涯 (際限)のないものである為に、アマリ、アマルと活用して、其の等測 (均しく思いはかる)が及ばない、所謂人智では推し測れない程、大きな円体を云って居るものである。天をアマともアメとも発音致し、是を同義であるとする者は、 幽顕の別を知らない者の申す事である。何故ならば、アマリ、アマルとは活(ハタラ)いても、 アメリ、アメルとは活かない事を以ても、アとメとは別義である事を知って欲しい。

御中は、真中の事で太陽軌道内の中極の所を申して居る。

主(ヌシ)は、根知の義であって、大虚空の真中に坐しまして、幽顕の大根元を主宰 (中心に居て宰領すること)し賜う事を申して居る。此の大神は天地万物の元素である五十霊を統括し賜い、以下の神々は此の大神が功用 (物の役に立つこと。活き)各部署に分割 (区別)したものであるが、此の大神の無為 (自然のままで人間等の作為のないこと)に坐(マシマ)して未だ其の御活きを現わさない霊円(アマ)の状態を指して、是を霊交(ヒト)と申して居る。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)