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大和心

第412回 本田霊学の継承-2(4/4)

著者:小山一夫 / 公開日:2024-06-25

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

(注釈)

本田翁文献の現代語訳をして頂いている西原氏より上記文中の「石峯神社」は「母智丘神社」の可能性があるとの指摘を戴いた。

『「石峯神社は現在の福岡県北九州市の神社だと思われる。」の箇所につきまして

上記箇所は、

・本田翁が明治三年(四十八才)三島通庸著の石峯神社創建の記事中に、

嘱せられて神憑によって不明たりし古来の祭神を識る

という記載についての注釈なのですが、

インターネットで情報を確認してみたところ、

宮崎県都城市の母智丘神社、の可能性があるように思えてまいりました。

こちらのサイトは、母智丘神社についての説明ですが、

ここに、「明治三年上荘内郷の地頭となった三島通庸が一大修理を加えて社殿を改築し、

祭神も豊受姫神、大年神と定め、また四方からの参道を便利にして庄内郷の総鎮守としました。」

という記載があり、

また、こちらのサイトに

「時の地頭三島通庸が之を聞き社殿を興し、木田九郎を鹿児島より招きて祠官となし、

神がかりに依り(人に憑りて神意を傳ふるもの)神託を受けしめ、祭神豊受昆賣なりと云、且誕生の霊跡と称せり。」

と、本田翁らしき人物の幽斎の記述がございました。

(木田とあるのは、本田の間違いかと思います)

さらに、こちらのサイトには、

「神社のある丘の頂上には陰陽石と呼ばれる巨石があり、古くは石峯と呼ばれた。」

とございます。

おそらく伝聞の中で、母智丘神社と、旧称の石峯の名前が混同されてしまい、

石峯神社というように伝わってしまっているような気がいたします。』

筆者もその通りだと思うので、ここに紹介した次第です。