「本田親徳研究」(鈴木重道氏)を参考に本田霊学の継承について御紹介したいと思う。解説については自説であり、本田霊学としての公式見解ではない。


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『この明治六年は本田・副島両者の交りを結んだ年と推定せられる。その後副島は屢々(たびたび)政府に召されたが固辞して出でず、明治九年九月(四十九才)御用滞在を免ぜられ、霞ヶ関の自宅を売却して清国漫遊の途に上ったのである。
全集の年譜には清国漫遊は明治十年と記したが、出発は九年秋の事であったと訂正したい。帰国は十一年秋であるから満二ヶ年の在支であった。この間に十年二月盟友西郷隆盛の西南の役が起り、九月に城山に自刃している。彼の帰国は己に凡ての終った後であった。この外遊に関して伝うる処に倚(よ)れば、九年春、本田親徳招ぜられて副島邸に赴き帰神を修した節、「明年早々西郷は衆に擁せられて兵を挙ぐるにつき未然に防ぐには種臣自ら赴いて説き東京に倶う外道なし。若し挙兵に至らば災必ず汝の身に及ぶ故難を国外に避くべし。」という神教があったという。種臣は神示を得しも自らは赴かず使を送りたるも事態切迫、収拾の道なきを知り、神慮を怖れ急に難を国外に避けたという。この後尊信して師弟の礼を以て道を問い鎮魂を修した事から見て、恐らくは事実であった事と思われる。但しその詳細は知る由もない。』(『本田親徳研究』)
佐藤先生から、筆者が審神者の法の伝授を受けた頃、三輪椙麿氏由来の「布留倍之霊由良」(写し)を頂いた。この文献は巻物になっている。その冒頭に「三輪神社神主三輪椙麿氏秘蔵古文書寫」とある。椙麿氏の父親は本田翁の直弟子である三輪武氏。
それによれば、「霊界ノ偉人本田親徳先生ハ東京市箱崎町ニ住セシ時明治9年ノ秋、副島伯邸ニテ先生ガ霊ヲ懸ケ本田ちか神主トナリ神憑セントキニ神憑アリ。此時(天照皇大神ナリシトイフ)西郷隆盛叛ヲ起ス、戦ヲ為スベシ故ニ副島汝西郷ノ處ニ参リ其レヲ思止マラシムル様ナスベシト神示アリ。副島伯之ヲ聞カズ之ヲ行ハザリシ為ニ遂ニ西南戦争起コリシト云フ。」とある。
この巻物により、審神者が本田翁、知可夫人が神主という構成だったことがわかる。