『本田親徳(1822~1899)は霊学研究者。副島は神道の本義を質ねた(「真道問対」)。鎮魂・帰神の伝を受けて、副島が清国漫遊の旅に出る明治九年、明年二月西郷隆盛の挙兵を予告し、難を海外に避けるようとのお告げをもたらしていた』(「副島種臣」吉川弘文館)。
これによると、副島翁の信書を西郷は「落手していない」つまり受け取っていないという。鈴木氏に清国行きについて伝言したということは、前記の「神教」によるものと思われるが、時すでに遅し、ということも含めて恐らく新たなご啓示があったのだろう。清国漫遊という表現についてだが、副島翁の真意は西郷に伝わっていたと思う。それは彼の副島翁への「遺言」にある「勿死工夫」という言葉に表れている。副島翁は自ら鹿児島へ赴くことはなかったが、二度にわたり西郷に使者を送っている。その辺りの思いも込めて、翁は後に「南州翁遺訓」に序文を寄せている。
『南洲翁遺訓一巻
区々たる小冊子と雖も 今の時に当り、故大将の威容の𠑊と 声音の洪とを 観るに足る有るもの 独り此篇の存するに頼る 西郷兄何を以て蚤く死せるか 茲書を著す者は誰ぞ 庄内賢士大夫某々 明治二十三年一月 副島種臣』