『明治九年、副島伯邸で歸神を修した時、本田翁が審神者であつたが、或る大神が憑られて重大なるお告げがあつた。』という部分だが、これは三輪家に資料収集に行った時に「布留倍之霊由良」を眼にしたのかもしれない。
ところで、副島翁が日本を離れたのは、西郷の挙兵前であり、事実誤認も甚だしい。
明治7年の佐賀の乱では、江藤新平は当初士族をなだめるために佐賀へ行き、そして不本意ながらリーダーとなり軍事行動を起こした。同郷の副島翁もその経緯をよく知っていたが故に、西郷についても、半信半疑ということはなかった筈だ。西郷の人柄から考えても、江藤のような結末は容易に予測できたであろう。時勢はそこまで切迫していたのだから。
また、この本田翁に宛てた二通の手紙だが、どこからそういう話を聞いたのか、何も明示されていないので、確かめようがない。筆者もこの件について、他では一度たりとも聞いたことはない。ただ大神に対する謝罪を本田翁に依頼するのは筋違いであり、副島翁の人柄から見ても信憑性はないと思う。