荒魂は神勇。和魂は神親。奇魂は神智。幸魂は神愛。乃ち所謂霊魂にして直霊なるもの之を主宰す。俗学識らず。荒和を以て心の体と為し、奇幸を以て心の用と為し、直霊の何物たるを知らず。豈悲しまざる可けむや。
とあるのに照応していることを知るでありましょう。
明治十五、六年頃本田霊学に己に原子を霊とし、その宇宙に充満し立錐の余地なく、故に霊魂の授受には迎接を労せぬことを道破した点は実に驚くべき卓見であると思われます。現代科学は原子時代と云うべきですが、科学そのものは形態の究理と応用の学で、霊学の上から見れば智魂(奇魂)の活らきであって四魂の一部であり、使命観なくまして道には未だ遠いのであります。
道については「霊魂の書」に詳しく申しましたが、参考の為両書を対照して次に掲げましょう。
〔真道問対〕第四十五章以下
問 天-地-人は道を同じくするか。(副島)
対 道を同じくす。而して天道と曰ひ地道と曰ひ人道と曰ふ。各自形体の大小軽重あり。故に命名同じからざるなり。(本田)
問 神は道とともに悠久ならば道は神とともに悠久なり。是なるか。
対 道と神は二ならず。
〔蒼海窓問答〕には、
力は道体の義なり。体力は第二義なり。夫れ道力有りて能く体力を発するなり。
未だ体力有らずして能く道力を発するなり。是れ御中主神の道力有りて後に天地万物有るなり。
凡そ道と言ひて神と言はず、神と言ひて道と言はず。何となれば則ち神と道とは二ならざればなり。道と神とは一なり。孔子の言は道を離れざれば、則ち孔子の言は神を離れざるなり。道なるものは須臾も離る可からざれば、則ち神なる者は須臾も離る可からざるなり。
師説を祖述するに当っても、副島は儒学を以て之を明らかにしようとした態度がわかるでありましょう。
さて両者の宇宙観 ・神霊観の継承についての挙例は限りありませんから、以下省略するとして、「神と人間」との関係について対照してこの稿を終りたいと思います。』(『本田親徳研究』)