「本田親徳研究」(鈴木重道氏)を参考に本田霊学の継承について御紹介したいと思う。解説については自説であり、本田霊学としての公式見解ではない。

**********************************
『三輪家に御滞在は約一年半と推測されるが、当時翁の残されし揮毫書類は数多ありし由なるも、現今は殆ど散佚して残存の品は少い。筆者の知る歌などの作は左の如きものである。
みわの山神の社のみ栄の時いたれりと知 るや里の子
古の真の道を憑坐せる神の御言に覚れ三輪の子
万世も変らざらむは大美和の神の心と杉木なるらし
たまたまにわかれとなれは物いはぬ家にむきてもかなしかりけり
おのづから神の心のあらはれて三輪のうぶこは千代もへぬベし
大神の栄子の御名は神ながら栄ゆる君かしるしなるらむ
三輪村の高草山は大神の宝の山ぞのぼりたて人
大物主神の御裔の大神の朝臣の家は万代もがも
東路の三輪山見れば雲谷も今日はかからずつきたてる見ゆ
猶、欅の如き板額あり。横に大字で「真神」と書き左横に小字にて「心神旡先形而養在形是真神也」と揮毫されている。この額は現在も三輪家に掲げられてある。
三輪家の御住宅内に奉斎せる神床がある。中央に大物主神、(向って)右側に天照大御神を鎮祭し、左側に本田翁の御霊を祀られている。翁の神名は事玉彦命と申され、御生前修業なされる折とても肌身離さず大切に所持せられて居ったと云う拳大の「岩」一個が御霊代となっている。此の岩は中央がくぼんでいて 恰も掌の如き形であると謂われている。翁は遺言で「吾死すれば霊は此の石に来るべし。故に大切に祭るよう。」との仰せであったと聞き伝えられている。(以上余録九)
神神社宮司三輪和夫氏の書面に依ると御霊代となっているのは拳大の「岩笛」との事にて、「我魂はここに帰る」と云われて岩笛を置いて行かれたと伝聞している由であります。
猶又書面には「本田先生が神神社にて研究された年月は、明治十九年一月に私の父が生れ椙麿と名付けて下さったという事ですから、明治十八年から二十年にかけてではないかと思いますが詳細の年月日はわかりません」とあった。』(『本田親徳研究』)