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大和心

第481回 本田霊学の継承-28(3/3)

著者:小山一夫 / 公開日:2024-08-08

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

扨三輪武が本田門の有力な高弟の一人であったことは、その一年祭を執行した事でも判りますが、更に伝うる処に依ると、川越よりの師の書信に接して急拠赴きその俄の逝去に会い得た唯一人ということであります〔註七〕。この事はまだ確認して居りませぬが、前掲の祝詞の文章よりすれば、木村辰右衛門宅に於ける急逝は単なる伝聞でなく、真実その場に居合わせた感銘が滲み出でて居るのを感得されます。併しその聞の事情に関しては余り触れる必要も無きかとも思われます。猶、何故に秩父に隠栖したかについては不明でありますが、年譜には逝去の前年十二月二十日に後添のちかを入籍せしめて居ります。ちかは秩父郡般若村守屋九平の二女で、秩父が郷里でありますから、そこに何等かの関係があったかとも推量されるのであります。明治二十二年四月はちか三十八才ミカ十才、副島種臣六十一才、長沢雄楯三十一才、鈴木廣道三十九才、三輪武も三十九才でありました。

〔註四〕 三輪宮司書簡|巻頭に掲げた軸物の写真の歌

〔註五〕 三輪宮司書簡-五二・二・三-

三輪家に伝わる三輪灸の件については、本回先生が「世話になったお礼に三輪家の栄えを祈ってこれを伝える」という意味のことをおっしゃって、お教え下さったと聞いています。

〔註六〕 佐藤卿彦著「鎮魂法帰神術の神法」の余録⑮に神神社に於て令嬢薫子神主となり帰神を行ったことが記されている。

〔註七〕 三輪宮司書簡-五二・二・三-祖父「武」が本田先生の御臨終に会った事情については存じておりません。本田先生にお会いする為に武蔵国まで行ったということ位しかきいておりません。』(『本田親徳研究』)