以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。
「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。

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『○下津磐根に宮柱大敷立、高天原に千木高知て、皇御孫命の美頭の御舎仕奉りて、
下津磐根に官柱太敷立。とは堅固な岩、基礎の確(シッカ)りした土台に立派な宮殿を立てた。の意である。
高天原に千木高知て。とは高天原に届けよとばかりに社殿の屋上に千木 (鎮木・知木・氷木)を高々と掲げて、の意である。
皇御孫命の美頭の御舎仕奉りて。とは皇御孫命、即ち邇々芸命が住まわれる、麗しい宮殿を造営し奉る。の意である。
此の条の、邇々芸命の官殿を造営し奉る、此の事は設神理であって、正神界の神々は万物を造化生育の根元の神威を以て活躍して居られるので宮殿なる所にのみ住むと申す事はない。祝詞文は神徳を讃える詞を奏上致して居るもので、神の居られる所を人智を以て想定したものである。我が国では神々の御座す処として、自然の崇厳な森林とか、山又滝など崇高清澄なる神神しい所に神社を設けて居るもので、垂仁天皇廿六年十月に、倭姫命によって伊勢国五十鈴の川上を、天照皇大神の御鎮座地として、伊勢神宮は造営され今日に及んで居る。