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大和心

第548回 大祓祝詞を考える―37(2/2)

著者:小山一夫 / 公開日:2024-09-22

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

「天津罪は、須佐之男命が天照大御神に対して犯し給うた罪、即ち神話上の罪を挙げたのであつて、神祇に対する罪の最も重きものである事は、既に述べた通りである。併しこれを大祓の祝詞に掲けて、人々に讀み聞かせるのは、神祗を対象として犯すは勿論、人に対して同様の罪を犯す事も、罪の重きものである事を知らせたのである。次に國津罪は現國に起り易い汚穢、若くは災厄等を拳けたもので、此等は後世の思想から考へると、罪と穢とが混淆されて居り、其の動機の上から云へば、不護慎の結果から起るものと、不可抗力の災難とを混同してゐるのであるが、此を上代人の宗教的見地から考へれば、均しく神祗の厭ふ所であり、又国民の道徳の上から考へても、悉く人々が忌み嫌ふ所のものであるから、何れから見ても、之を一括して廣義の罪に数へたのは常然の事である。」「それ故天津罪と國津罪の区別については、従来種々の解繹があつたけれども、つまり「天」「国」は天津神国津神に於けると均しく、其の起原が神話の上にあると否とによつて別つたのであつて、其の本質は悉く汚穢に触れる行為であつて、宗教的に見ても、道徳的に見ても、両者の間には何等の区別がある訳ではない」。

だが、それならば、わざわざ区別する必要もないだろう。私は天津罪とは天津神の生成化育の働きを損なう行為であり、国津罪とは国津神の働きを損なう行為だと思う。フロンガスの多用でオゾン層に幾つも大きな穴をあけ、化石燃料の過剰利用等により温暖化を進め、原子力発電所の事故により自然を汚染する。これらはほんの一例だが、人間が犯せし罪が自然界で広範に及ぶのは明らかだ。これらは人類が直霊の顧みる働きを発揮し、自然を大事にする思いを強く持ち、できるところから改善してゆかなければ、大祓祝詞を繰り返し奏上したとて解決するものではない。人間に起因する罪穢は、人間が自分で祓う(解決する)努力をしなければ、神の加護も得られないだろう。