「本田親徳研究」(鈴木重道氏)を参考に本田霊学の継承について御紹介したいと思う。解説については自説であり、本田霊学としての公式見解ではない。

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宮城島氏は、皆が認めるように帰神術の素質に大変恵まれた方であった。なのに何故、このように道を誤ってしまったのだろうか。
宮城島氏が長沢翁に入門したのは明治24~25年頃(15~16歳)、神道三穂教会を設立し独立したのは27~30年(18~21歳)。36年(27歳)の時に静岡市に本拠地を移している。宮城島氏が長沢翁の指導を受けていたのは僅か3~5年程度。生来の憑霊体質(稀に憑霊し易いタイプの人がいる)故、帰神術は早く上達できたが、この短期間に鎮魂法を深く習得できたとは思えない。
鎮魂法はどんなに素質があったとしても、ある程度の修行期間が必要になる。まして憑霊体質であれば、個人差はあれど、通常よりも時間がかかるかもしれない。なぜなら鎮魂法とは分魂した霊魂の運転活用を目的とする「霊魂の制御法」だからだ。
審神者は意識を判然とさせた上で、自らの一霊四魂、そして神気、御神霊をコントロールするわけだが、その時に憑霊体質がマイナスになる部分がある。
本田霊学を学ぶ方は霊統や神縁などにより、審神者向き、神主(帰神術の際に転霊を受ける側)向きのいずれかに分かれる。神主は憑霊し易い体質の方でもいいが、審神者は御神霊の降臨(本田霊学では「霊を引く」という)に際して、自らの全身に満たしてはならない。つまり自身の鎮魂力を使って、降神の途中で神霊との合一を止めなければならないわけだ。そうでないと神主への転霊ができなくなる。故にいわゆる憑霊体質の方はあまり審神者には向かない。