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大和心

第583回 大祓祝詞を考える―45

著者:小山一夫 / 公開日:2024-10-19

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。

「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。

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(注)「祝詞新講」では、「瑞穂抄に、『天上の故事を以て、神代よりの遺法に任せて解除するを云ふ也。』とあるので、意義は明かであるが、後釋には更に委しく述べている。即ち高天原なる天照大御神の朝廷で行はせられる儀式に倣つて、其の如くに行ひ給ふ事をいふので、皇御孫命の朝廷に於ける儀式は、すべて皆高天原のに倣つて行はれるのであるから、下にも『天津金木』『天津菅曾』といひ『天津祝詞』と云つて『天津』が冠してあるのであると云つて居る」

ここでは顕斎と幽斎を混同している。「道の大原」に「幽斎は霊を以て霊に対し、顕斎は形を以て形に対す、故に幽斎は神像宮殿無くして真神を祈る。顕斎は神像宮殿有りて衆神を祭る。俗学蒙味にして古義を知らず、混じて以て一と為し、岐れて以て万と為し、底止する所無し、実に祭義の大疵なり。」とあるように、高天原での祭祀は幽斎になのだから、その儀式に倣って一般的な祭祀つまり顕斎を行うことはできない。顕斎には顕斎の、幽斎には幽斎のやり方がある。倣うとは、何を倣うのだろうか。