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大和心

第636回 大祓祝詞を考える―55

著者:小山一夫 / 公開日:2024-11-23

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。

「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。

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本田翁は鈴木重道翁に印可状を出している。「皇法 神憑 鎮魂 右伝授于 鈴木重道」。

筆者としては、まずこの順番に注目したい。まず皇法。これは佐藤翁の言う「信念」を培う上でも重要な要素であり、ここでも最初に置かれている。まずは本田霊学とは何か、これを知らなければ鎮魂帰神を理解できないだろう。次に神憑、鎮魂と続くが、これは霊学を学ぶ順序でもある。まず学問的に学び、次に普通幽斎で祓いを受ける。そして数か月・数年を経て霊魂が浄化されてきたら、審神者から鎮魂石を頂く。だから鎮魂が最後に書かれているわけだ。鎮魂石を頂けるのは全員ではない。神界の了承の下、審神者が許可した方だけであり、自己申告は受け付けない。私の知る限り、自分から欲しいといった方に鎮魂石が授けられた例を知らない。そして授かったとしても、鎮魂を始めてから数年間は殆ど手応えはないだろう。だが地道な努力がなければ、先に進むことはできない。

鎮魂帰神により霊魂を清め、鎮魂力による霊肉分離によって、自らの一霊四魂を神界に至らしめる。つまり神人合一によってすべてを神に委ねる。それこそが惟神の真義だといえよう。そこでは念力も加持力も必要とされていない。ただ神人合一できるかどうかにすべてが掛かっている。敬神、浄心、至誠、これを磨いてゆくのが本田霊学の修行になる。仏教では元来、本人の悟り(解脱)を目指して修行するが、本田霊学では霊肉分離による神人合一を目指す。個人の悟りは、その過程で自然に起こるものであり、自らそれを得ようとすることはない。