「本田親徳研究」(鈴木重道氏)を参考に本田霊学の継承について御紹介したいと思う。解説については自説であり、本田霊学としての公式見解ではない。

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『〔四〕霊学伝記抄
この標目は適当なものとは思われないが、特に佐藤卿彦著「古法式鎮魂法・帰神術の神法」(既出)には第八編に余録として十六章が掲げられ、その中一ニは巳に掲載したのであるが、ここには以外の章の中から選んで記し度いと思う。但しこの余録についてはその始めに、
本編は鎮魂帰神に関して、長沢翁稲葉翁を始め諸先輩の残されし体験並びに挿話等に就き、見聞せし事柄を縷々綴ることとするが、時代的の前後、或は霊学上に於ても本文と重複せる処も有ると思われるが、順序を構わず記録に残せしもの、又記憶をたどりつつ記述して行く事にする。なお記憶に残せしものは既に三十年も経た今日では、その人物場所などの名称等は失念して居り、誤りありてはと思い符号的に記すか (〇〇〇・△△△の如く)又は省略することにする。此の点了解願いたく前以て申述べておく。
と記している。伝聞の挿話の中には自然同じものが他書にも掲載されていることがあろうと思われるが、その詮穿は無用の事であるから致さないことにし度い。
宮城島金作氏は偉れた神主で有った事は既に述べてあるが、これは稲葉翁の物語りの内の一つである。三保の社務所に於て帰神執行中の折、氏を神界に連れて行かれるとの憑霊の仰せで、忽ち室内を飛び出して行かれた。後になってその時の状態を氏に尋ねた処、どの様に行ったのか其の聞の事は全々不明で、ともかく到着した処、御同行と覚ゆる御眷属が、大巳貴命であるとの仰せで拝をなした。よく視ると命は臂(ひじ)を枕として横になられて居られた。其の大きな事は申し様もなく、偉大であり尊厳極りないお姿であられたとの事である。猶帰られる折に御眷属より「石」を御土産にと拝受したが、其の石たるや瑪瑙(めのう)石の如くであり、それに透きとおっていて、顕界では到底見られぬ逸品であったと語られた。なお、その石は現今でも(昭和八年頃〉氏の家にある筈だと申して居られた。(余録二) 』(『本田親徳研究』)