ただ、出口氏が現実路線で政治家や軍人等に支持者を広げ、大きな潮流を作ろうとしたのに対し、友清氏はあくまで霊的な側面から天皇至上主義の世の中を作ろうとしていたように見受けられる。これは顕界の側から世の中を変革しようとする出口氏と、幽界の側から顕界へ働きかけようとする友清氏の手段の違いではないだろうか。
友清氏はかつての逮捕経験から、また出口氏は大本が宗教団体として認可される前の最初の弾圧経験から、両者ともに非公認の任意組織では政府の弾圧を受けかねないので、正式な宗教団体としての活動を選択したようにも思える。実際、出口氏は官憲の弾圧を避けるために、長沢翁に相談したり、複数の宗教団体に所属するなどかなり苦労していた。その辺りの経験が、後の両者の歩み方の違いに顕れているのかもしれない。
『大本は、稲荷講社・御嶽教・大成教などと、公認教団に関連所属し、着々と公認教としての法人組織化をすすめた。しかも、大成教に所属しながら御嶽教にも同時に所属するというように、名称も組織も二本立て三本立ての複雑な構造をとっていたことは、非公認宗教にたいする政府の干渉のなかで、会長が、その合法化をかちとろうとして努力し、なんとかして、教線を拡大しようとしていた苦心のほどを示すものとして、極めて興味深いものがある。』(大本七十年史)