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大和心

第678回 本田霊学の継承-122(1/2)

著者:小山一夫 / 公開日:2024-12-26

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

「本田親徳研究」(鈴木重道氏)を参考に本田霊学の継承について御紹介したいと思う。解説については自説であり、本田霊学としての公式見解ではない。

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友清氏が大本を離れたもう一つの理由が、法術面での問題だ。

友清氏によれば

『大本の鎮魂帰神は本物ではなく、また、世界の主宰神と称する艮金神も、世を惑わす邪神だと断罪した』(「新・日本神人伝」)

確かに、大正9年当時の「綾部の弥勒殿における鎮魂帰神の実修風景」の写真を見ても、浅野和三郎氏と思しき人物が高座に座り、その対面に大勢の信徒が「鎮魂の印」なるものを結んで座っている。1対多数で向かい合っての鎮魂は、本田霊学の鎮魂法とは全くの別物であり、本田霊学を継承している側からみれば、とんでもないという評価になる。

不二氏は「新・日本神人伝」で次のように説明する。

『友清は長沢門下と言いながら、本田の高弟間を尋ねてもっぱら資料収集に専心し、本田を先師などと呼び、集めた資料と持前の霊学資料とを巧みに駆使して、一派を創立した。その資料収集に関して、芳しからぬ伝聞さえもある。友清の神懸を評して、長沢は邪霊による憑霊と言って問題にしていなかった。又友清と一緒になって天行居を創立した時の同志であった西原道方のインタビューによると、「友清は神懸をすることを意識的に避けていた。又友清本人には何等の霊感、霊力もなかった。単なる理論家である」と述べている。(「本田親徳の霊学思想と鎮魂法と帰神について」)』(「新・日本神人伝」)

『友清に霊学資料の収集癖があったことは事実であり、鎮魂帰神についても、自身の実体験にもとづ く 現象についての言及が極端に少ないことも事実だ。