「本田親徳研究」(鈴木重道氏)を参考に本田霊学の継承について御紹介したいと思う。解説については自説であり、本田霊学としての公式見解ではない。

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ところで、大本時代の友清氏が本田霊学の鎮魂法を知っていたかどうかは不明だが、大本を離れるや否や静岡へ行ったのを見ると、少なくとも大本の行法が本田霊学の正当なものでないことは分かっていたのだろう。だが静岡で彼は、本田霊学が自分の必要としていた行法、つまり大勢を対象とした行法を有していないことに気づく。そこで彼は、早々に静岡を離れ、秘伝探索の旅を続けることになったのだろう。
『友清はさらに探索をつづけ、ついに未曾有の金鉱を掘り当てた。それが第二章で書いた宮地水位とその著作なのである。
友清が水位をいかにして発見したかは、実際のところ、明らかでない。友清本人は冥界にいる水位からの霊示があったと述べているが、幽冥界にかかわることだけに、裏のとりようがない。
はっきりしているのは、現在の岡山市西大寺一官(旧藤井村)に鎮座する安仁神社神職・太美淳の所蔵にかかる秘書を、太美自身が書写して友清に提供したという事実だ。