「本田親徳研究」(鈴木重道氏)を参考に本田霊学の継承について御紹介したいと思う。解説については自説であり、本田霊学としての公式見解ではない。

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三島由紀夫氏が「英霊の聲」(1966)を書くにあたり、友清氏(「霊学筌蹄」)の影響を受けたという話を耳にしたことがある。鈴木重道氏の「一本の道」に神社本庁事務総長・林栄治氏の「跛」が掲載されているが、そこで氏は次のように述べている。
『先頃昭和四十五年十一月二十五日に自決した三島由紀夫氏が、最後まで追求し続けたものがウケヒであったといはれる。三島氏を鈴木氏に会はせたかったと、今にして残念でならない。人生とは、人との出合ひであるが故に。』と。
「英霊の聲」には幽斎のシーンが出てくるが、本田翁のように如何に優れた霊性を持っていたとしても、亡くなられて1000年間は他感法で御懸かりになることはない。もしも三島氏が佐藤先生に出会っていたら、彼の人生は違うものになっていただろう。林事務総長ではないが、筆者も残念に思う。
『帰神の法を、一名又幽斎の法というのは、ふつうの神殿宮社で、祝詞供餞あって、神祇をいつきまつる「顕斎の法」に比して、霊を以て霊に対する法であるから、この名があるのである。また、帰神のなかにも幽顕があり、幽の帰神というのは、本人も気づかぬうちに霊境に入って、その精神集中によって霊感を得るもので、まして他人にはそのありさまは読めないから、いわゆる芸術家のインスピレーションなども、これに含まれ ると考えてよかろう。
これに対する顕の帰神が、ふつうに云う神がかりのことで、神の憑り坐したことはもとより、まわりの者にも明瞭に見てとれるのである。 又、幽顕それぞれに、自感法、他感法の別があり、我ひとり神霊に感合するのが前者であるが、私が列席した会は、いうまでもなく、この顕の帰神の他感法に依るものであった。