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大和心

第754回 本田霊学の継承 戦後編-21(2/2)

著者:小山一夫 / 公開日:2025-02-21

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

記紀では、詞志比宮・橿日宮(現在の香椎宮の辺りか)での幽斎として、いくつかの実例が挙げられている。例えば、

古事記中巻 仲哀天皇の条

其の大后息長帯日売命は、当時帰神りたまへりき。故れ天皇、筑紫詞志比官に坐しまして、熊曽国を撃けたはむとせし時に、天皇御琴を控かして、建内宿禰大臣沙庭に居て、神の命を請いまつりき

日本書紀巻九 神功皇后の御紀

九月春二月足仲彦天皇 筑紫の橿日宮に崩りたまふ。時に皇后、天皇の神教に従わずして、早く崩りまししことを傷みたまひて、以為さく、崇りたまふ所の神を知りて、財宝国を求めむと欲ふと。是を以て群臣及び百寮に命せて罪を解へ過を改め、更斎宮を小山田邑に造らしめたまふ。三月壬申朔、皇后、吉日を選びて斎官に入り、親ら神主と為りたまふ。則ち武内宿禰に命せて琴撫 かしめ、中臣烏賦津使主を喚して審神者と為す。因りて千繒高繒を以て琴頭尾に置きて、請ぎまをして日さく~

これは一例であるが、このように記紀には古代の幽斎についての記録がある。注目すべきは、全て天皇や皇后が主となって行っている点だ。それ故、皇法ということになる。