戦後の本田霊学の継承に関する考察は、まず佐藤卿彦先生の紹介、そして佐藤先生の弟子達について、特に大久保藤男翁、横山信行氏、渡辺勝義氏を中心に、皇法の伝承、鎮魂法、帰神術をテーマに考察する。その後、佐藤先生と鈴木重道氏の著書等を参考として、佐藤先生による公式・正式幽斎の偉業を振り返りたい。

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『「国学」は江戸時代の初期に興って、幕末にむけて盛んとなり、明治維新後はどうした事か、その姿が消えていきました。言わば新しい学問に発展的解消したのです。三百年近い歴史の中で、国学はさまざまに発展し、変形しました。』(「やさしく読む国学」中澤伸弘著)
尊皇攘夷で始まった維新の路線が、明治に入り急速に尊皇開国へと変化していった。これはアジアの国々が欧米各国に植民地化されてゆく国際状況と、岩倉使節団が受けた想像以上の衝撃が背景になったのだろうと思う。富国強兵、その為ならば当初の信念・理念などどうでもよい、と思えるほどだったのだろう。
本居宣長や平田篤胤、水戸学等の尊皇思想もまた、西洋の価値観に押されて、政治的な変更が余儀なくされた。岩倉使節団が欧米にいた時も、日本ではキリスト教は国禁として扱われていた。幕府の方針を受け継いでいた為だが、条約締結諸国は日本政府に対し、条約の基礎として普遍的な原則としての信教の自由を要求。その結果、国禁も次第に形骸化されてゆくことになる。だが驚くことに、その流れはキリスト教を国教化すべきだという主張に繋がっていった。