これは太陽についていえば、太陽系全体を主宰するときの大きな働きが天照大神、恒星としての太陽単体としての司神が大日霊女貴神という関係に近いと思う。
そうなれば産土神は直接的(狭義)には大己貴命の分霊ではないかと思える。人間の霊魂が死後に、産土神から大物主神の元に行くが、この大物主神は大己貴神の和魂なので、筋も通る気がする。広義では「霊体合て云時は大国主の神」という視点から、人間に対する生成化育の関わり方として、大国主神という見方もできるだろう。
<本文>
そして、この大きな島[※地図で本州を示しながらご説明された可能性が高い]、山口県下関から東北地方の端までの国魂の御名を大倭豊秋津根別(おおやまととよあきづねわけ)と言う。[古事記では、大倭豊秋津島(おおやまととよあきづしま)。またの名を、天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきづねわけ)。ただし、倉野憲司による岩波文庫の注では、大和を中心とした畿内の地域を指し、本州の呼び名ではないとする]四国・九州その他の小島は皆、国魂の別名があるけれども、ここでは省略する。
このように小さな部分に各々名前がある理由について[述べると]、当時の国や郡や村、また、その[中にある]小さな一部落においても分魂(ぶんこん、わけみたま)[=分魂された国魂=産土神(うぶすながみ)]があって、顕と幽にわたって支配なされた事実[があったというのは]、言うまでもなく明らかなことである。
<考察/筆者>
島単位に国魂神がおられ、各島内にその分魂として産土神が複数祀られているということ。ただ聴衆にわかりやすいように厳密な意味での説明をしていないので、本田親徳全集などを参考にし、理論的に整理する必要があると思う。
この講義が明治18年頃だとすると、本田翁が帰幽される4年ほど前になるが、その後、明治39年の神社合祀令により、10年も経たずに約20万社あった神社のうち7万社が取り壊された。それによってどこが自分の産土社なのかわからなくなった人達も多かったと思う。