本田親徳翁の「産土神徳講義」について考察したいと思います。
(現代語訳と本文中の注は西原壮聡氏、「考察」部分は筆者)

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産土神徳講義(上)
(注)本田親徳(ほんだちかあつ)による産土神(うぶすながみ)の働きについての解説講義録。講義の年代、場所は不明。北海道明治神社宮司・鈴木重道氏によれば、産土百首が完成した明治18(1885)年頃、静岡県三島大社において地元の氏子に対しておこなわれた講義録ではないか、とのことである。
<本文>
一家がこのようであれば、その[一家が住む]村中もその言行に感心して、ついには下女や下男に至るまで道に残された[落とし物]を拾っ[て自分のものにし]たりもせず、[泥棒の心配もないので]雨戸も閉ざさぬようにもなり、この村は他の村よりも誠に風紀も正しく、家事の取り仕切りも行き届き、子孫に対する教育も日々に進歩し、申し分のないことになるので、これを[他の]各々の村が鏡[=手本]とするようになっていくだろう。そうなると、皇国[=日本]のために、その地域のために、心の置き所は、ただ産土神を尊崇して、先祖の古き規範を実行する、という一点[のみ]になるので、取り立てて困難もなく、心配事もなく、心安らかに、婦女子[であっても]もたやすく[産土神の尊崇や古き規範の実行が]できるようになる。もっとも、生まれて生きていることばかりが、その産土[神の働き]ではない。死んでしまっても、産土[神]様のお体[≒大地]の中に葬られること[になるというのに]、それを『仏地(ぶつじ)[=寺の境内、仏の世界]に葬られる[ことになる]から、寺は尊いものだ』と思うのは、大間違いの極みと[でも]いうべきものなのだ。人々がうっかりして昔から坊主に騙されていたからなのだ。
何宗[であるか]に限らず、みな、インドの[肌の]黒い坊主である釈迦の手下である[日本の]坊主どもは、その身は日本の神の御子孫として生まれながら[も]、日本の鍛冶屋が作った剃刀で艶やかな黒髪を剃り落とし、これは慈鎮(じちん)[※慈円(じえん)。
慈鎮和尚が諡号。
平安時代末期から鎌倉時代初期の天台宗の僧。