歴史書『愚管抄(ぐかんしょう)』を記したとされることで知られる。
歌人としても有名で家集に『拾玉集(しゅうぎょくしゅう)』があり、『千載和歌集(せんざいわかしゅう)』などに名が採り上げられている。
]の歌の「たらちねは かかれとてしも むばたまの わが黒髪を なでずやありけむ」[=私の母はよもやこのように出家剃髪せよと言って、私の黒髪を撫でいつくしんだのではなかったろうに。
※後撰和歌集(ごせんわかしゅう)に収録の「遍照(へんじょう)」作の和歌。
「慈鎮」作というのは誤りか。
歌の題や歌を詠んだ事情などを述べた詞書によると、出家直後に詠んだ歌。
出家直後の悔恨に近い複雑な心情が母親へのいとおしさとともに詠まれている。
※遍照。
遍昭(へんじょう)とも。
弘仁7年(816年)~寛平2年1月19日(890年2月12日)平安時代前期の僧・歌人。
俗名は良岑宗貞(よしみねのむねさだ)。
大納言・良岑安世(よしみねのやすよ)の八男。
官位は従五位上・左近衛少将。
花山僧正(かざんそうじょう)とも号す。
六歌仙および三十六歌仙の一人。
]と歌い出すのも当然であるような、身体や髪や皮膚[というもの]は、実に、神の賜物[であり]、父母の賜物[であり]、先祖の賜物であるにもかかわらず、情けないことに[その黒髪を]剃ってしまって先祖[がこの世に残してくれた]我が身に傷を付け、耳は皇国[=日本]の大道[=歩むべき正しい道]を聞くはずの耳に人の倫理に外れた経文の声を聴き、眼は皇国[=日本]の大道[=歩むべき正しい道]を見るべき目に不忠不孝の仏書を見て、鼻は皇朝[=日本]のかぐわしい香りを嗅ぐべきはずなのに、抹香(まっこう)[=葬儀や法事の時に行われる焼香で用いられるお香]臭い[香り]を尊んで、口は本朝[=日本]の忠孝の大道[=歩むべき正しい道]を言うべきものであるのに、朝から晩まで[南無]妙法蓮[華経]や[南無阿弥]陀仏などのようにつまらない西戎(からくに)[=外国 ※本田親徳は産土百首において、「西戎(からくに)」=「韓国(からくに)」つまりは、「外国]という意味で詠んでおり、ここで意味するものも、「外国」というニュアンスと思われる。