戦後の本田霊学の継承に関する考察は、まず佐藤卿彦先生の紹介、そして佐藤先生の弟子達について、特に大久保藤男翁、横山信行氏、渡辺勝義氏を中心に、皇法の伝承、鎮魂法、帰神術をテーマに考察する。その後、佐藤先生と鈴木重道氏の著書等を参考として、佐藤先生による公式・正式幽斎の偉業を振り返りたい。

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大本七十年史によれば、
『翌一九二〇(大正九)年の節分に五六七殿が竣工してから、講演場は男女の別なく五六七殿にうつされた。受講者の数は、おおいときは三~四〇〇人をこえ、鎮魂をうけるものは二五〇人にもおよんでいる。「大本時報」(大正9・3)が掲載しているところによると、正式の修業者の数は一月が七五〇人、二月は八一三人というように激増ぶりを示している。』
『五月から七月の間についてみても、毎日約二〇〇人内外という盛況であった。金竜殿における講話は、午前・午後の二回にわけでおこなわれ、幽斎修業も毎日二回にわたって実施された。』
毎日こんなに多くの人達に大本式の「鎮魂帰神法」を行うわけである。ひとり一人をきちんと指導できるとは思えない。本田霊学の帰神術とはかけ離れたものだった事は明白である。
大本の鎮魂帰神法がどのようなものだったのか、そのメカニズムについては、別途「鎮魂法帰神術」の稿で詳解したいと思う。