戦後の本田霊学の継承に関する考察は、まず佐藤卿彦先生の紹介、そして佐藤先生の弟子達について、特に大久保藤男翁、横山信行氏、渡辺勝義氏を中心に、皇法の伝承、鎮魂法、帰神術をテーマに考察する。その後、佐藤先生と鈴木重道氏の著書等を参考として、佐藤先生による公式・正式幽斎の偉業を振り返りたい。

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『大宮市の氷川神社は、先生の一偉業であった公式・正式幽斎の発端の社であった。多い時には年に数回実施された。この当時、先生が古代の社を視られたのを聞いた事がある。当時周辺は海で、その中に小さな州があり、一小社が祭られてあったのが、その前身であったとか。話は変るが、その当時、顕神会の門人達が、仝社神職方の御好意により祭式の基本をお教えを頂いた事がある。この様な或る時、宮司さんが標本箱を持参して来て、我々に見せて下さったのが、相当多種の貝類であった。この社は拝殿の前方に池があり、当時水源が細くなり、泥土がたまったので大掃除した結果掘り出されたものとの事。』(「佐藤卿彦先生遺稿遺影集」)
昭和天皇の氷川神社(大宮)御親拝の前日に公式幽斎が行われたが、翌日佐藤先生は天皇陛下をやや離れたところから御姿を観る機会に恵まれたとのこと。先に書いたように、天皇陛下の御霊は非常に大きかったと仰っていた。ただ輝きがやや弱かったと。御親拝は、東京オリンピックと大阪万博の間の時期だったが、きっと御多忙のためお疲れだったのだろう。それでなくとも天皇陛下の公務は激務なのだから。