本田親徳翁の「産土神徳講義」について考察したいと思います。
(現代語訳と本文中の注は西原壮聡氏、「考察」部分は筆者)

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産土神徳講義(上)
(注)本田親徳(ほんだちかあつ)による産土神(うぶすながみ)の働きについての解説講義録。
講義の年代、場所は不明。北海道明治神社宮司・鈴木重道氏によれば、産土百首が完成した明治18(1885)年頃、静岡県三島大社において地元の氏子に対しておこなわれた講義録ではないか、とのことである。
<本文>
さて、私がこのように言って聞かせているのは、ただただ訳もなく、神社を訪れて、頭を下げ[柏]手を打つ[こと]ばかりを勧めようとしている[から]ではない。
『随分、裸参りをした』、『丑の刻参りをした』、『寒中で水を浴びた』、『火を通した食べ物断ちをした』、『あれやこれやと好きなものを食べるのを禁じた』[など]、人前で自分が言い出しにくい願掛けをするような馬鹿げた拝礼の仕方は本当の信心ではないので、今日からお止めになって、先程から申し上げる[ような]清浄な心と清浄な体とに生まれ代わって、『貧しい家も安楽になろう』、『愚かなる自分も賢くなろう』、『世間との交際も睦まじくなろう』、などというように、天地の神に対し奉っても恥ずかしくないように祈り奉るのが本当の祈祷というものなのである。