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大和心

第840回 本田親徳翁 産土神徳講義-9(3/3)

著者:小山一夫 / 公開日:2025-05-03

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

これ[=省みる心、直霊(なおひ)][こそ]が神が本当に寵愛なさる心で[あり]、清浄心と古より申し伝えて[きたもので]、善人にはなっても決して愚悪な者にはならない心の極みと[でも]いう[べき]もの[であり]、何の教えも、何の規則も、この外にあるべきはずのものではない。

さて、身の不浄というもの[について]だが、病気[こそ]が一番の身の不浄であり、この不浄[=病気]を疎かに思って放置してしまうと、倒れて土になる[=死ぬ]外はないが、病気にかかった場合には、その地で有名な腕の立つ医師を頼りにし、治療、看病の二つが行き届いて、さてその後に産土神に『薬の効果がありますように』、また、『神助によって平癒しますように』と、人事を尽くして祈れば、必ず神の助けがあるはず[であり]、しかしながら、生死[を決める]権限はこの産土の神が専ら[自分の権限に]にできない理由もあるが故に、天命に委ねて過ごすべきもの[であり]、人間の寿夭(じゅよう)[=長生きと若死に]は天地の開闢(かいびゃく)から天津神がお決めになることなので、祈ったからといって、死んだ者が再び蘇生した[前]例もないので、死んだら天地とともに残された我が親、我が子、あるいは親戚何人[かの元]に寄ってくる[ことになる]この死んだ者の霊魂を、『幾万代も保護して下さるように』と祈祷することこそが神の道というもの[である]。