出雲国風土記では天日栖宮(あめのひすのみや)]に召し出されると、この大社の大神[=大国主命]の和魂としていらっしゃる大和国[=奈良県]の大三輪の社[=大神神社(おおみわじんしゃ)]に鎮座する大物主神(おおものぬしのかみ)、地球上の人の魂をことごとく御主宰なさる[大物主神が]、[杵築の大社から]上天なさり、天ノ高市(あめのたけち)[※高天原(たかまのはら)で、諸神が集会する場所となっていた小高い所。
天安河(あまのやすのかわ)の近くであったと考えられている。
書紀・神代上の一書「故(かれ)八十万(やそよろづ)の神(かみたち)を天高市(アマノタケチ)に会(かんつどへつど)へて問はしむ」]というところに参上の上、[死んだ者の神霊を]御届けになり、[天津神に]仰上(おおせあげ)[=お申し上げ ※上位者に対して言う動作の、言う人を敬う語。
]なさると、天津神が[天ノ高市に]御出張されてきて、その[死んだ者の]神霊たちをことごとくその程度に応じて位をご決定なさって、[その位に従って、死んだ者の神霊は]万代にわたって無窮(むきゅう)[=永遠]に存在することになるのであるが、何と、[聴衆の]皆さんがた、このような産土神を尊信する心の露の一滴より、広大で計り知れない末の世までこのような富貴を得るという[事実を知ることができる]のは、我輩が幼い頃より皇学を学び、御歴史を拝読しているからであって、胸中に秘して黙っていることが難しく、ただただ腹を割って実情を述べるのは、人々のために天壌無疆(てんじょうむきゅう)[=天地とともに永遠に極まりなく続くさま。
天壌無窮]の福徳を与えようとする一片の老婆心からなのだ。
なお、申したいことは富士の山よりも高く、遠江海[※遠州灘か?
]の底よりも深いとはいえ、もはや[この講義も]深夜に及んでいるので、今晩はまあここまで[にする]。