神道と日本の記事一覧

大和心

第885回 本田霊学の継承 戦後編-90

著者:小山一夫 / 公開日:2025-06-01

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

戦後の本田霊学の継承に関する考察は、まず佐藤卿彦先生の紹介、そして佐藤先生の弟子達について、特に大久保藤男翁、横山信行氏、渡辺勝義氏を中心に、皇法の伝承、鎮魂法、帰神術をテーマに考察する。その後、佐藤先生と鈴木重道氏の著書等を参考として、佐藤先生による公式・正式幽斎の偉業を振り返りたい。

**********************************

『㋟ 昭和五十七年、九州築紫野市に、天拝山と言う山があり、その中腹に祭る荒穂神社(祭神邇邇芸命)の公式幽斎を実施する事が、定まっていた所、二月末、先生の留守宅から電話があり、急に先生が、藤枝市の志太病院に入院した旨連絡があった。早速秦野浅治兄と打合わせの上、三日後に見舞に参上した。一寸遅れて横山信行氏も来り、先生にお目にかゝったが、殆んど意識のない状態、帰途二人で病気祈願を約束した。以後自宅で心に平癒を祈ったある夕刻、自己の霊魂が抜け、先生の病室に入った所、ベッドの片隅に、御眷属らしい方が、矛を持って守護されているのを視、之は大丈夫であると、確信した。

その後先生も退院され、秦野兄も入院手術を受けたが、仝年六月の幽斎も、無事完了した。了義解の鎮魂の項に、「鎮は安なり、人の陽気を魂と謂う、魂は運ぶなり云々」とある中、魂は運ぶなりと言う事を、実際に体験し、大いに得る所があった。先生が帰幽された昭和六十年、入院後、前にも増して、強力な祈願を継続したが、どうもあまり良い結果が感じられず、帰幽された五月四日の三日程前、夕刻祈願中、先生が、普段の黒紋付のお姿で現われ、途端に、あゝ之がお別れに来られたなと痛切に感じた。鳴呼巨星墜つと言う深い思いと、暗夜に光明を失ったと言う感が強い。』(「佐藤卿彦先生遺稿遺影集」)

先生が入院されたとの連絡を受けた時、筆者も目の前が真っ暗になった。気力を振り絞って神界に病気平癒を祈ったが、師の有難さを痛感した次第である。