本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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A 古事記上巻
『故れ大国主神、出雲の御大之御前に坐す時、波の穂より、天之羅摩船に乗りて、鶴の皮を内剥にはぎて衣服にして、帰り来る神有り(中略)。
故れそれより大穴牟遅と少名昆古那と二柱の神相並ばして、此の国を作り堅めたまひき。然て後には、其の少名昆古那は常世国に度りましき(中略)。
是に大国主神愁ひまして、「吾独して何かも此の国を得作らむ。孰れの神と与に吾は能く此の国を相作らまし」と告りたまひき。是の時に海を光して依り来る神有り。其の神の言りたまはく、「我が前を能く治めてば、吾能く共与に相作り成してむ。若し然らずば国成り難てまし」とのりたまひき。かれ大国主曰したまはく、「然らば治め奉らむ状は奈何にぞ」とまをしたまえば、「吾をばも倭の青垣東の山上にいつき奉れ」、と答言りたまひき。此は御諸山の上に坐す神なり(下略)。』(「顕神本田霊学法典」)
これは大国主神が海より来る神に問いかける「神の自感法」と、御諸山の上に鎮めた「神の鎮魂(みたましずめ)」。鎮めた神の御名が明示されていないため、現在に至っても大神神社のご祭神に諸説あり。