忌部広成はこの意味を知らなかった。古語拾遺[忌部広成編纂 大同2年(807年)]において、『鎮魂の儀式は天鈿女命の遺したものである』と書かれているものは、その[=鎮魂の]根本を知らずに派生した意味だけを取り上げたものにすぎない。派生した意味、というのは何であろうか。派生した意味については延喜式を一読しなさい、鎮魂の時にあたって、鈿女命が岩屋戸で神憑りしたように、一、二、三、四と唱えて『汗気伏而蹈登杼呂許志[うけふせてふみとどろこし]』と[ある]ように、その時の様子を取り入れて、大祭[=鎮魂祭]を執り行いなさったのである。それ故に、[忌部]広成は当時の様子[=天岩戸の条]を見て、過去の時代の原因[=三貴子の条]を知らず、誤ってこれを古語拾遺にその家[=忌部家]の女性が発明したかのように書き出したのである。また、旧事記[=先代旧事本紀 聖徳太子、蘇我馬子が著したとされる神典・歴史書 多田義俊、伊勢貞丈、本居宣長によって偽書とされた]がもとより偽書であることについて、先人の学者たちが既に余すところなく論じ尽くしたとはいえ、その偽書[=旧事記]の中にある物部氏の系図が真に正しい記述であることをこれまた先人の学者が既に結論付けたとはいえ、悲しいかな、鎮魂の儀式がその[=物部氏の]遠祖である饒速日命が天から授かったことによって[高天原から葦原中国に]持ち下った、と記されている。これは全てその元々[の事実]を知らないために、自分の家柄を貴いものと考えて、このように書で伝えたものである。』(西原氏現代語訳)
つまり『鎮魂之儀者天鈿女命之遺跡也』との記述は誤りであり、その根源は人智の計り知れなところにある。古語拾遺も記紀を読む際に参考になることもあるだろう。しかし、それはあくまで忌部(齊部)広成が家伝や言伝え等を基に編纂したものにすぎず、信憑性が高いとは言えない。つまり、その内容を絶対視すべきではないということだ。古事記ですら「説神理」で説かれているのだから。