本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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誤解のないように付け加えるならば、鎮魂石は神界の許可に基づいてつくられる。その霊的な機能は「たましずめ」と「たまふり」と言ってもいいだろう。実際の鎮魂法に際しては、まず『前述の如く手を組み神気(精神)を鎮め』とあるように、身体の中府に自らの一霊四魂を「たましずめ」る。
然る後に鎮魂石とのムスビに沿って
『石に向って「吾が霊魂が鎮魂石に鎮まる」と云う、強い思念を四、五回送る』(「顕神本田霊学法典」)。
この思念を送る際には、静かでかつ強い「集中」が求められるが、その後はただ観照するに委ねる。この集中と観照を何度か繰り返すわけだが、この一連の流れが「たまふり」に相当する。
実際には、思念を送るのは一霊四魂を運転活用する際の方向付けをするのが目的なので、その間は霊魂には殆ど動きがない。自身の一霊四魂が動くのは「観照」している時だ。そして結果として鎮魂石に自らの霊魂が徐々に鎮まってゆくのだが、これは分魂であり、鎮まったからといって自分の霊魂が減るわけではない。むしろ運転活用することで、自らの一霊四魂の働きが高まってゆく。
つまり「たましずめ」と「たまふり」を経て、鎮魂石に自らの一霊四魂が「たましずめ」られることになる。本田翁が前述の「御食棚神」の話を鎮魂の由来とするのは、素晴らしい発見だったと言えよう。そして翁は鎮魂法を通して『「霊魂の運転活動」を学習すべし』と述べられている点もここで強調しておきたい。
蛇足ながら、津城寛文氏(筑波大学・教授)は、鎮魂に「脱魂、憑霊、トランス」の3要素を無理やりこじつけようとしている(詳細は後述)が、本田霊学の鎮魂法にはいずれも無縁であることを明記しておきたい。