本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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『鎮魂の「鎮」の文字に囚われて、鎮魂を「魂を鎮めることである」と一途に解してはその本義を見失うのであり、むしろその逆に魂を活動状態に置くのが鎮魂であり、これまた強いて言うならば「鎮心活魂」と言うべきであろう。』(「古神道の秘儀」)
「鎮心活魂」はその通りだが、渡辺氏はその意味を誤解している。鎮魂法とは彼の思うようなものではない。
『魂を活動状態に置く』ためには、その前に霊魂を身体の中府に安定させなければならない。渡辺氏は『鎮まっている自分の魂を更に鎮める必要はない』というが、心が霊魂の働きの一側面であるなら、心を鎮める為にも霊魂を鎮める(安定させる)べきだろう。それとも霊魂と心は関係ないとでもいうのだろうか。