又た感覚を蕩尽し意念を断滅するのが一の条目であるが、是も到底肉体の生命の在る限りは、感覚を蕩尽し、意念を断滅する事は無理である。否な不可能である。大本の霊学は決つして感覚を蕩尽したり、意識を断滅せしめたり、左様な妖術的な事は神界が許さぬ。大死一番の境とか良く云ふ事であるが、意志の薄弱な人で、無智蒙昧でなければソンナ状態に為る事は出来ぬ。人格を失つたもので無ければ、到底実験上本田先生や、長沢先生の行り方は駄目である。中には特殊の人に右の様な状態の現はれる事は在つても、一般的には行かぬ。或る特殊の人物に限つて出来る神術なら、是を社会へ布衍する資格の無いものであると思ふ。
私としては本田先生も長沢先生も殊恩ある師である。それにも拘らず、自分の実験上の意見を紙上に発表する事は実に心苦しいけれども、又た多数の同胞を誤らしめる事は、天地の神明に対し奉つて畏れ多いのみならず、大切なる神の御児たる人間に対して済まない。今日までは両師に敬意を払つて沈黙を守つて居ましたが、最早、惟神の時機が切迫しましたから、涙を呑んで此稿を書きました。
又た両師の修行法に、心神を澄清にし感触のために擾れざるを務む可しと云ふ事が、一つの条目となつて居りますが、是は要するに大聖人か君子にして、始めて出来る事であって、普通一般の人にはダメであり、不可能である。心神を澄清にする為の鎮魂であり、帰神である以上は、最早、神心を澄清にし感触の為に擾れざる様に神力が出来たなれば、それで完全したものである。守護神や鎮魂帰神の法や霊魂上の細密の問題に付ては、今後随筆的に書いて見ようと思ひますが、今日は唯だその大意だけを述べたに過ぎませぬ。』(「大本史料集成」)