神道と日本の記事一覧

大和心

第1052回 本田霊学の鎮魂法と帰神術について-107

著者:小山一夫 / 公開日:2025-11-03

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

************************

『前節でみたとおり、鎮魂の典拠、「鎮魂ノ大本」として本田があげた『記紀』の故事は神器の授受の場面であり、それに伴い霊魂が移動するという説明であった。そしてその要点は、たとえば伊邪那岐尊が自らの分魂を珠に憑けて天照大神に与える、また天照大神が自らの分魂を三種神器に憑けて皇孫に与える、ということであった。つまり、器物の与え手がそれに自らの霊魂を憑けることこそが「鎮魂ノ大本」とされているのであり、受け手がそれを奉齋することは、付随的な祭儀にすぎない。ところが上の佐藤説では、解釈の重心がその付随的な祭儀の方に移ってしまっているのである。』(「鎮魂行法論」津城寛文著)

「霊魂が移動する」は誤り。分魂の意味を理解していない。そして神の鎮魂と人間の鎮魂法と混同している。つまり神は自らに備わった働きとして分魂が自在にできるが、人間は神の助けを借りて鎮魂法を修行しないと、分魂ができないのだ。だから鎮魂法に熟達し審神者にならなければ、『器物の与え手がそれに自らの霊魂を憑ける』ことなど出来ない。それが最初からできると津城氏は本気で思っているのだろうか。だとすれば鎮魂法について語る資格もないだろう。