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大和心

第1055回 本田霊学の鎮魂法と帰神術について-110

著者:小山一夫 / 公開日:2025-11-06

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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鎮魂と祓いについて

鎮魂法の実修は祓いにもなる。だがそれが鎮魂法の目的ではない。御神霊に触れることで祓いが起こるわけだが、その意味では帰神術でも、或いは然るべき神社の参拝でも祓いを受けることは出来る。

渡辺氏は、

『本田霊学における鎮魂は人間の奥底に眠る天授の霊魂を、神霊との交流によって目覚めさせ、自己の霊魂を覆っている先祖からの罪穢れ(魄の穢れ)を神霊の御光りに浴するたびに一枚一枚薄紙を剥ぐように徐々に祓い清めて、遂に本来の神授の霊魂の輝きを発揮し、遂には霊肉分離し得て自己の意志に基づき自由に霊魂の運転活用を計り、神霊に接して神慮を覚り、神の御心を吾が心として霊止(ひと)たるの道を完うせんとする神法なのである。

従って、人間誰れしも多少の罪穢れあるが故に、穢れが祓われて清まるまでは鎮魂も帰神もある一定期間は地道な修行を要するのであり、他感法(帰神術)においても最初から高位の神霊は懸られず、「普通眷属」から始まって修行によって身心が清められるに従い、徐々に中等、高等の神々が懸られるようになるのである。』という。

内容について否定するものではないが、鎮魂法の目的という事ならば、適切ではないというか、不十分だと思う。彼は審神者の伝授を受けていないから仕方ないが、本田霊学における鎮魂法には明確な目的がある。それは鎮魂「法」という「神の法則」つまり分魂と鎮祭を修練するために行うということだ。

神主としては、帰神術に際して自らの霊魂を神界に至らしめる必要がある。審神者も然り。茲で必要になるのは、霊魂の運転活用である。

また審神者は鎮魂力を駆使して、帰神術では御神霊を神主に転霊したり、また鎮魂石や御霊璽をつくる等、神の代理(佐藤先生は「仲取り持ち役」と仰っていた)としての責務を果たす必要がある。渡辺氏が列挙する自らの祓いとか、霊肉分離などは、その過程として自然に役立ったり、備わったりするものであって、そのような枝葉に囚われていては霊的な向上は望めまい。